History
広島市平和記念公園レストハウスの歴史

@ 1929年(昭和4年)3月
 大阪に本店を持つ「大正屋呉服店」が細工町から
 中島町への移転の際、建築された
 当時、目新しい構造である鉄筋コンクリート造の
 モダンで革新的な建物であった。

1943年(昭和18年)12月
 繊維統制令により呉服店は閉鎖

1944年(昭和19年)6月
 広島県燃料配給統制組合が取得し、国策の
 統制会社 が使用し、産業設備営団広島出張所
 も入居

A 写真使用申請中 1945年(昭和20年)8月6日 8:15
 広島市中心部に原爆投下
 燃料会館(現;レストハウス)は爆心地から
 わずか130mの距離であった

 爆心地の近くでありながら、開口部が少なく、
 強固な建物 であったため、
 基本的な形態はとどめた。
 
 当日、37名が勤務しており、被爆直後に8名が建物
 から脱出したが、たまたま地下室に書類を取りに
 降りていた 1名を残して、その後全員死亡した。

 Bの写真「左上、橋のそばにある建物」
B 写真使用申請中
C 1957年(昭和32年)3月
 広島市が買収「東部復興事務所」として市の
 東部地域の復興拠点となった。

1982年9月
 平和記念公園レストハウスとして
 公園の憩いの場となる。